こんにちは!弁護士の高橋麻理です。

今回は、法律の話を少し離れて、私自身も長い間悩んでいたこと(正直に言うと、今もなお大きな悩みのひとつであること!)についてお話ししたいと思います。

それは、シングルマザーと子育て(子どもの育て方)の問題です。

離婚するかどうか悩む過程、離婚してシングルマザーとなった日々の中で、いろいろな不安と直面しますが、その不安のおおもとに子育ての問題が横たわっていることは多いと思います。

父性とは、「これはいいこと、これは悪いこと」と善悪を教えたり、マナーや社会のルールなどを教える役割。

母性とは、子どもの要求を受け入れ、満たし、すべてをそのまま包み込む役割。

そんな話を聞いたことがあると思います。

私は、そんな話、全く知らないままに育児に突入しました。

私は、昔、小学生のころの通知表で、「麻理さんは、他人にも自分にも厳し過ぎるところがあります」と書かれたことがあるようですが、本当にそのとおりでした。他人から言われるまでもなく、自分で厳しいルールを設定し、規律を守って生活することが正しいことであると信じていたし、それと同じ基準で他人にも接していたので、小中学生のころなどは、だらしなく見える同級生に腹が立って仕方がなかったのです。

その性格は、大人になっても全く変わるところがありませんでした。

ですから、子どもができても、その考え方をそのまま育児にも適用しようとしていました。

父性を全面に出して子どもに接していたと思います。そして、どんなに言って聞かせようとしても思うようにならない子どもに、常にイライラしていました。

さらに、子どもが3歳のころに離婚し、シングルマザーになり、私は、「私がこの子を立派に自立させなくてはいけない!」というプレッシャーを感じました。だから、さらに、子どもに対し、厳しい目で見ていたし、それでも思うようにならない子どもに不安、焦りを感じていました。

「私がシングルマザーだから子どもがしっかりしないのだろうか」という思いにもなりました。そして、そのたびに「もっともっと私がしっかりしなくちゃ」と思うようになりました。

それでもやっぱり子どもは思うようになりませんでした。なんだか落ち着きがないし、私がやりなさいといったように勉強をしないし、お片付けもきちんとしない。

「どうしてこんなにも子どもはルールを守らないの?やるべきことをやらないの?」と頭を痛め、いろいろな相談機関に行きました。

そのような中で言われたのが、「お子さんは、お母さんに、自分を受け止めてもらえていない、と感じているのではないですか」という問いかけでした。

私は、猛烈に腹が立ちました。

専門家だかなんだか知らないけれど、うちのことを何も知りもしないくせに、何を知ったようなこと言ってるの?と腹が立って、そのまま口にしたこともありました。自分のやり方が否定されたようで、頭に血が上って、言葉に表現できないほど腹が立ったのです。

でも、ふと思いました。「なんで自分はこんなにも腹を立てているのだろう」と。

そう思ったとき、私は、まさに、痛いところを突かれたと感じたからこそ、こんなにも動揺しているのだなと思いました。専門家のかたの言葉にハッとしたのだと思いました。

それから、私は、現状、自分のやり方で完全に行き詰まっているのだから、子育ての在り方について素直に学びを得ようという気持ちになりました。そこで、本を読んでみたり、脳科学について学ぶコミュニティに入ったりして子育てについて学びを始めました。そんな中で、父性と母性という考え方を知ったのです。

私は、この母性の役割を全く果たせていなかったと痛感しました。「そのままのあなたを愛している」というメッセージをしっかり伝えられておらず、常に、「将来困らないように」などという勝手な不安を抱き、足りない点を指摘し、「成長」させようとしていたことに気付きました。

まずは、子どもを安心で満たすこと。「このままの自分が受けいれられている」ということが当たり前のこととして子どもの心を満たすこと。

このことが完全に欠落していると感じたのです。

そして、この考え方を採用するには、私自身の価値観を大きく変える必要に迫られました。40年かけて今の形になったその価値観を変えるということは並大抵のことではなくて、今でも何度も何度も、凝り固まった「こうあるべき」というもとの価値観との戦いになることはあります。

でも、その都度、その価値観を持っていては、子どもをあるがままに受けとめることができず、いやおうなしに変容を迫られるのです。

たとえば、子どもが習い事を始めたいと言い出したとき、私の頭には、「習い事とは、始めた以上、どんなにつらくても、飽きても、そこで得られるスキルをしっかりと身に着けるまでは辞めてはならず、簡単に辞めさせては、将来、困難に立ち向かえない人間になってしまう」という考えが浮かぶのです。

そして、簡単に習い事をさせるべきでない、と考えてしまったり、いったんスタートしたものは、どんなに嫌がっても、辞めさせないという考えを子どもに押し付けそうになってしまうのです。

でも、ここで向き合うべきは、今の子どもの気持ち。いったんスタートさせた習い事を短期間で辞めることを認めることで将来それがどう影響するかはわからないけど、少なくとも、今、子どもは、やりたいと言っていた習い事をやった上で、「やっぱり辞めたい」と言っている。

だから、まずは、その子どもの気持ちと向き合ってみる。

なぜ辞めたいのか?
自分からやりたいと言った習い事をすぐに辞めることについて、自分でどう感じているのか?
今後、もし、同じように、やりたいと思う習い事が出てきたら、どう対応してみようか?

そんな話をした上で、子どもの今の気持ちを受け止め、習い事を辞めることを認める。仮にそこにわがままや根気不足があったとしても、それでも、子どもの気持ちをまずは受け止めて、子どもの「こうしたい」と満たすことだけを考える。

このプロセスは、さらっと書きましたが、実は、私自身の中ではかなりの苦しみというか葛藤を伴うものです。

でも、軸を決めたから、まずは今の子どもを満たすことを第一に据えて対応を考えるようにしています。

そんなこんなしながらも、最近、ようやく、ほんの少しずつ、子どものそのままを受け止め、満たすということがどういうことか理解し、それを私自身の行動にも移せるようになってきたように感じています。

ただ、それと合わせてもう一つの壁に直面するのです。

母性というものの果たすべき役割はわかってきた気がする。でも、子どもと常に接するのは私だけ。父性としての役割を、同じ人間である私が、どうやって果たしていけばいいのか?

ひとり二役。相反するように見える役割をどう果たしていけばいいの?その課題です。

少し長くなってしまったので、これについては、また次の回でお話ししてみたいと思います。

「私も同じようなこと考えた!」などのお声やご感想もいただけるとうれしいです。


【著者】高橋麻理
元検察官の経歴。先を見通した戦略プロセスの設計や、依頼者に寄り添い解決に導くことに定評がある。
第二東京弁護士会所属。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
2002年に検察官に任官し、数多くの刑事事件の捜査・公判を担当したのち、検察官退官。
2011年弁護士登録。
刑事事件のみならず、離婚案件の解決実績も豊富。離婚成立のみをゴールと捉えず、依頼者の離婚後の生活を見据えた解決策の提案・交渉に定評がある。
法律のプロフェッショナルとして、依頼者の期待を上回るリーガルサービスを提供することを信条とする。
法律問題を身近なものとして分かりやすく伝えることを目指し、メディア取材に積極的に対応。子どもへの法教育にも意欲を持っている。