こんにちは!弁護士の高橋麻理です。

前回、法律の話を少し離れ、シングルマザーと子育てについて、私自身が、子どもをまるごと受け止めることができるようになるまで大変な苦労をしたというお話をしました。

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そして、まるごと受け止めるということが少しずつ理解でき、実行もできるようになってきたところで次に直面したのが、シングルマザーである以上、一人で同時に父性としての役割も果たさなければならないという悩みでした。(母性=母親の役割、父性=父親の役割などという前提はとっておらず、単に子育てにおいてはふたつの視点が必要だと思う、という前提でお話ししています)

私の中で、この母性としての役割と父性としての役割とをいかに果たすかということはいまだに未解決の課題です。また、子どもによって、その他要素によっていろいろなやり方があると思うので、唯一の正解などというものはないのだと思います。

ですので、まだこれから検証が必要になるという前提での話ではあるのですが、私は、父性としての役割については、あまり意識せずに、子どもをまるごと受け止める母性ひとつを心に留めて子どもと接していくことが今の私の中での正解だと思っています。

というのも、私自身、子どもと接する中で、子どもが、私にまるごと受け止められているという実感を持ち、満たされた状態にあれば、自ら、自然と世の中のルール、善悪を学び、実行しようとする力が育つと思うようになったからです。

わざわざ、親である私が、子どもに対し、ルールや善悪を教えようとしなくても、子どもはその土台としての安心感さえあれば、自然と吸収していくものだと感じるようになったからです。

もちろん、「自然と」とはいっても、子どもは置かれた環境で物事を吸収していくものですから、子どもにとってもっとも大事な身近な存在である私自身が社会のルールや善悪をもとにした言動をとっていく必要はあります。

私自身が誠実に生きていれば、その背中を見た子どもは「こんな場面ではこうするんだな」ということを自然と学んでくれます。

なので、私は、シングルマザーだから、一人で母性としての役割と父性としての役割と、矛盾する2つの役割を完璧に演じ分けなければならない、などと肩に力を入れる必要などなく、ただただ子どものすべてを受け止めて満たすことを考え行動し、自ら、子どもに恥じない生き方をしていれば、子どもは、自ら勝手に学び、成長していくものだと信じ、子どもを見守ることにしています。

そうは言っても、自分も完璧からほど遠く、背中を見ている子どもの視線がプレッシャーとなったり、自信がなく不安におそわれたりすることも。

そんなときに、「ああ、こんなときに、子どもに私以外の生き方を見せてくれる人がいたらな」と思うこともあります。

私は、つい、こういうとき、「私がシングルマザーじゃなかったら」という発想に陥りかけます。でもよく考えて見ると、これはシングルマザーかどうかにかかわる問題ではなく、逆に、シングルマザーであるから解決困難になる問題などではないはずです。

まず、子どもと子どもの父とが会える機会を継続的に作り続けていれば、自然と、子どもは、母親以外の自分を大事に思ってくれる親に触れることができます。

また、職場を始めとする自分の所属するコミュニティに子どもを意識的に連れて行くことで、自分が心地よく感じるいろいろなタイプの人たちに子どもが接する機会を作ることができます。

もちろん、学校や地域の活動などを通してもその機会は得られるはずです。

子どもの視野を広くするために、こうして、子どもが見ることのできる大人の背中は多ければ多い方がよいのかなと思っており、その機会を作ることを大事にしたいと思っています。

今までお話してきたのは、子育ての中での父性としての役割という少し抽象的なお話でした。

少し話は変わるのですが、子育てをする中で、この母性や父性の話とは別に、もう少し具体的な話として子どもに伝えていかなければならないことはあると思っています。

それは、法教育に関する話です。

子どもたちが自立して大人になる過程で、子どもたちは、さまざまなリスクに囲まれていると思います。親世代が子どものころはあまり身近でなかったSNSとどう付き合うか、そこに潜むリスクの話などはその代表的な例だと思っています。

以前、中学生の娘が私に「ママ!高校生のお姉さんからお話しようっていうDM来たよ」とうれしそうにそのメッセージを見せてきたことがありました。

私は、そのとき、娘に、なぜ、そのメッセージを送ってきたのが高校生の女の子だと思ったのか問いかけました。

娘は「この人がそう言っているから・・・」と言って少し黙りました。

そんなやりとりの中で初めて、娘は、実は、そのメッセージを送ってきたのが本当に高校生かなんてわからなくて、性別だってわからなくて、しかも、いったいどんな意図をもって接触しようとしてきたのかなんてことは全くわからないのだということを実感したようでした。

また、私が、ある小学校のいじめ予防授業に行くという前日、娘に「明日は小学5年生にいじめ予防授業をしてくるよ」と伝えたところ、娘から「ママ、もしできたら、その授業で、いじめられたほうは、いじめたほうから言われた言葉がずっと心に刺さっていることを伝えてほしい。大体、小学校って、トラブルがあると、先生が間に入って、事情を聴いて、悪かった方に謝らせて解決って感じにするけど、あれで解決にはならないんだよね。言われたほうは、何かと言われた言葉を思い出してつらい思いをするんだよね。一度くちゃくちゃに丸めた紙は、二度ときれいな紙にならないってこと」と言われました。

授業での生徒さんたちの反応を娘に教えると、娘もとてもうれしそうにしていました。

こういった双方向の会話の時間を意識的に確保することは、子どもが、犯罪被害リスク、法、人権などについて学ぶ貴重な機会になり、逆に、親である私にとっても、子どもに身近なリスクとしてどのようなものが存在するのかを知る機会になるように感じています。

前回からいろいろお話ししてきましたが、私自身、子どもを育てるということに関しては、自分はうまくやれているなどと思えることはなにひとつありません。特に、やはり私にとって一番しんどくなるのは、大事な大事な娘の人生に対する責任が、私一人の肩に重くのしかかっているという思いでいっぱいになったときです。

自分に何かあったら・・
自分が娘の育て方を誤ったために子どもの幸せを奪うようなことになってしまったら・・

そんなことを考え始めると夜も眠れなくなることがあります。

でも、そんな弱音を吐いている暇もありませんし、なにより、私は、娘自身が持つ力というものをもっと信じなければいけないとも思います。離婚を考えているとき、そして、いざ離婚したとき、きっとそんな思いになるかたもいらっしゃるかもしれません。ときには力を抜きながら、一緒にがんばりましょう。


【著者】高橋麻理
元検察官の経歴。先を見通した戦略プロセスの設計や、依頼者に寄り添い解決に導くことに定評がある。
第二東京弁護士会所属。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
2002年に検察官に任官し、数多くの刑事事件の捜査・公判を担当したのち、検察官退官。
2011年弁護士登録。
刑事事件のみならず、離婚案件の解決実績も豊富。離婚成立のみをゴールと捉えず、依頼者の離婚後の生活を見据えた解決策の提案・交渉に定評がある。
法律のプロフェッショナルとして、依頼者の期待を上回るリーガルサービスを提供することを信条とする。
法律問題を身近なものとして分かりやすく伝えることを目指し、メディア取材に積極的に対応。子どもへの法教育にも意欲を持っている。