ママスマにて「ママ弁護士流 法律の幸せレシピ」で記事を執筆いただいているAuthense法律事務所の高橋麻理先生。弁護士だけでなく、最近ではご自身のブログでの発信や、本の執筆など多方面でご活躍中!!
今回は弁護士としての高橋先生ではなく、シングルマザーである高橋先生にフォーカスをあてていろいろお話を伺っていきます!
目次
実は離婚の案件が苦手だった???
―法律の幸せレシピでは法律の知識だけでなく、ご自身の経験も入れていろいろお話してくださっていますよね。そこで今日は高橋先生自身について、深掘りさせていただきます!まず、検察官から弁護士へのキャリアチェンジはどういったことがきっかけだったんですか。
キャリアチェンジは、妊娠したことですね。検察官の仕事が本当にハードだったので、妊娠した状態で続けることはできないと思って、悩んだ末に辞めることにしたんです。
―お子様ができて、ご自身のキャリアを考えたっていうことですね。弁護士として離婚をはじめとした多くの案件を取り扱われていると思いますが、ご自身の離婚の経験が大きく影響してると感じますか。
間違いなく、そういえると思います。元々は「離婚の案件をやりたい!」という意欲を持って弁護士になったわけでは全然なくて。むしろ、離婚の案件は荷が重いなと思っていて、ちょっと苦手な分野でした。
ただ、キャリアを重ねていく中で、お客様から、女性の弁護士に相談をしたいっていうニーズを聞くことがあって。当初、私は自分が離婚したことを公には言えなかったんです。
でも、クライアントの方に「実は私も離婚していて」と話すと、クライアントの方が、「離婚している高橋先生の言葉だから、こういう風に受け止められた」などとおっしゃっていただくことがあって。自分の離婚経験をそんな風に受け止めてくださるクライアントもいらっしゃるんだなって、その時に思いました。
私は、今も離婚の案件を特に多く取り扱っているということは全然なくて、細々とにはなると思うのですが、ライフワークとして、ご相談をいただいたら真摯に対応していきたいなと思っています。
―離婚を経験した方の言葉だと、また違いますからね。
そうかもしれないですね。でも、私からすると、経験してるとは言っても、夫婦の形だって、お子様の状況だって、経済状況だって、なにもかもがそもそも皆さんあまりにも違うわけで、単なる一ケースに過ぎない私の離婚経験が自分の武器になる、そのことで何かクライアントに響く言葉が伝えられるとは全く思っていないんです。
ただ、クライアントの中には、全部が全部同じ背景はなくても、本当にしんどかった時の気持ちを、一部共有できることを大事に思っている方がいらっしゃるということは事実であるようには感じます。
離婚経験があるから相手の状況を理解できるわけではない
―幸せレシピの1番最初の記事で、「離婚を経験してるからといって、相手の状況を理解してるなんて言えない」ということをおっしゃっていましたが、そういう風におっしゃる方があんまりいらっしゃらないので衝撃的でした。どちらからというと、「経験してるから、気持ちが少しでもわかります」という方が多いのかなと思っていました。
「経験したからわかります」って、キャッチコピーとしてはもちろん響きが良いのかもしれません。でも、私は、それは違うように思うんです。人のことなんて、所詮自分の経験から想像してもわかるはずないんですよね。クライアントの方にも「先生、この気持ちわかりますよね」と言われることがありますが、「私はそこについては全く考え方が違うから、わかりません。 でも…」という風に話すように意識しています。
そういう意外なところに注目してくださって、びっくりしました(笑)
―色々な離婚経験者の方や専門の方とお話しすると、ご自身の経験を活かしたり、その方の気持ちを汲み取ったアドバイスができたりという方が多い中で、先生のスタンスは新しいというか、出会ったことがなかったので、とても新鮮でした。ここからはご自身の離婚についてお聞かせいただきたいんですが、離婚に対して、迷いや不安があったなど、決意するまで、どうでしたか?
迷いはものすごくありましたね。期間でいうと、1年ぐらいは悩んでいたと思います。
とにかく離婚について悩みぬいた1年間だった
―結構考えられたんですね。
そうですね。悩んでたポイントは、3つあって、1番はお金の面。その当時、私は検察官からキャリアチェンジした直後の時期だったんです。こどもも1歳くらいだったんですが、小児喘息の持病があって、1年に何度も入退院を繰り返してたんです。次から次にいろいろなウイルスに感染して…
私も付き添い入院しなくてはいけなかったり、治って保育園に行かせても、すぐにまた熱を出してはお迎え行ったりとかで、結局、まともに働けてなかったんですよね。
まだ弁護士になったばっかりで、働かなくちゃいけないのに、全く仕事に行けない週もあったり、行けても3日間、1日数時間しか働けなかったりで、お金も全然稼げる状態になくて… こんな状態で、養育費をもらえたにしても、自分の稼ぐ力が全然ないのに、どうやってこどもを育てられるんだろうっていう、お金の問題がまず1つありました。
2つ目は、世間体ですね。私がどう見られるかというよりは、こどもが「あの子かわいそう」と思われてしまうんじゃないかとすごく悩んでいて。例えば、娘が何か問題を起こしちゃった時に、「あの子の親は離婚しているから」という目で見られちゃったらどうしようとか、そんなことを考えていました。
3つ目は、私1人でこどもを本当に幸せにできるのかということ。これが一番大きかったかもしれません。私、メンタルがすごくすごく弱いんです… 普段の生活の中で、人の言ったことでくよくよしちゃったり、落ち込んで体調崩しちゃったりとか、とにかくメンタルが弱いんですね。
だから、自分一人のことでもこんなに苦労しているのに、さらに、こどもの人生を背負って生きていくなんてできるわけないだろうって思っていて。だから「離婚なんてできるわけないよな」っていうのが大きかったです。
最後は腹を括って決めた離婚
―高橋先生はいつもパワフルなイメージだったのですが、本当に悩まれたんですね。
そうです。友だちも少ないし、そんなこと話せる人なんて誰もいなかったので。たまーに親に弱音吐いたりしてたぐらいで、1人でモヤモヤしていました。
そうやってモヤモヤし尽くしたころに、何がきっかけということもないのですが、「今の状態を続けることは難しいな」と腹落ちしたような感覚になれたんです。たしかに、離婚して、自分が大変な思いをすることは目に見えているけど、まだ経験していないことを不安に思っていてもきりがないから、ここで踏み出すしかないな、あとのことは何とかするしかないなと腹をくくる感覚になれたんです。
―いざ、離婚を決めた時に、具体的に行動したことや、絶対こうしようって誓ったこと、決意したことなど、なにかありますか?
どちらかというと、現状はしんどいからという理由で、逃げるように離婚を選んだから、その時点で何か離婚後はこうありたいみたいなものはなかったような気がします。
当時は弁護士になって間もなくて、自分で離婚案件の相談を受けたことすらなかったので、自分の力だけで乗り越える自信は皆無でした。精神的にも弱ってるのに、ちゃんとこどものために離婚条件を整えるとか、とても私には無理だと思ったので、知り合いに弁護士を紹介してもらって、 代理人になってもらって、離婚まで進みました。
離婚までの過程では、先生から「これはどうしたいの?」っていうのに対して、「あ、じゃあ、そうします、こうします」って選んではいったんですけど、私はこうなりたいんだとか、ここは絶対譲れないんだとか、あんまりそういう信念みたいなものは正直ないままでしたね。
毎朝耳鼻科に行ってから保育園に…
―そもそも離婚前から、お子さんの体調の件とかで、お仕事をしていくのに、結構大変な状況でしたが、離婚しても同じような状況は続いていたんですか。
離婚してしばらくは変わらなかったんですけど、1つだけ救いだったのは、こどもの体が強くなってきて、入退院がなくなったことですね。とはいっても、相変わらず保育園に行けば毎日鼻水出して帰ってきて(笑)
―毎日!?(笑)
そう。ひどくならないように、毎朝耳鼻科に行ってから保育園。「今日も耳鼻科?」って職場にも言われながら、遅れて出勤。病院通いを自分以外の人に代わりにやってもらえない、っていう大変さは常にありました。
さらに娘が体調を崩すと私も必ず風邪をもらってしまっていたのですが、自分のためだけに病院に行くような時間的余裕もなくて、そんな時間があるなら少しでも仕事をしなくては、という状態でした。
だから、いつも病院にはギリギリまでいかず、もうこれ以上立っていられないくらいのひどい状態になって初めて病院に駆け込むので、病院の先生からは、「もう肺炎の一歩手前っていう状態だよ。なんでもっと早く病院来なかったの?」っていつも怒られていました。小学生になるぐらいまではずっとその繰り返しだったと思います。
娘のために歯を食いしばって仕事と向き合う
―今のお話って、働くお母さんの悩みあるあるですよね。小さいときって、また熱出た、その3日後にまた熱出た、で、全然仕事に行けなかったり。体力的にも職場からお迎え行ったりとか、病院に付き添ったりで結構きついっていうのもありながら、会社に対しての罪悪感というか「早退、休みばかりでまずいな」っていう気持ちも出てきてしまい、これ以上会社に迷惑をかけられない、と辞めちゃうお母さんも結構いますよね。
そういったお母さんも多い中で、弁護士のお仕事を続けられたのって、気持ちの面でここでは諦めたくないとかはありました?
まず1つすごく幸運だったのは、当時は、例えば裁判などどうしても自分じゃないといけない日などは、母が始発で来てくれて助けてくれることがあったということ。毎回というわけにはいきませんでしたが、いざというとき手伝ってもらえたっていうのは、まず1つ大きかったと思うんですよね。
それでもどうにもならなくて母が来れない日も当然あって、そういう時は当時の職場にかなり融通は利かせてもらっていました。
ただ、辞めるっていう選択はとり得なかった。自分が働かないと、大事な娘を生活させられないので、とにかく細々でも、仕事は続けていかなくちゃいけないと思っていました。
それに、辞めるってことは、なんか離婚に負けたようで、絶対にいやでした。
休んだり、遅刻早退したりしてばかりだったので、当時の職場では、「邪魔なやつだと思われてるんだろうな」などと勝手に妄想して肩身が狭い思いで働いていたのですが、その都度、「そんなこと気にしてる場合じゃない、娘のために、そこは耐えなくちゃいけない」と思い直して、「すみません、すみません」って常に謝りながら、とにかく目の前のことに集中して、本当に歯を食いしばって仕事と向き合っていた感じでしたね。
―先生もやっぱりそういう気持ちを持たれていた時期があったんですね。仕事についてはモチベーションを保っていくのが結構大変だったってことですね。
大変でしたね。すごく悔しいって。
特に私は昔から勉強大好きで、試験で1番取るのが大好きな人間だったんです。自分で言うのもお恥ずかしいですが、とにかく真面目人間で、さぼるとか適当にやるとかいうことが大嫌いで、誰よりも真面目にがんばっているという思いでやってきました。そして、努力したらちゃんと結果も出ていました。
だから、「こんなに頑張ってきたのに、なぜ私がこんな思いをしなくちゃいけないの?」「私は、何のために頑張ってきたんだろう」って悔しくて悔しくてたまらない気持ちになっていました。
後編はこちらから
「仕事」も「子育て」もどちらも大切だからこそ、両立という壁にぶち当たり悩んでいる方も多く、共感できるお話だったのではないでしょうか。
ついつい、自分の価値観を子供に押し付けてしまう!?誰もが共感できる子育ての悩みを赤裸々にお話してくださいました。